一歩の中にある瞬間



ハイヒールで歩くということは
単純化の行為ではない


それは
複雑さが極限まで
研ぎ澄まされた末に
現れる純粋な形である


水面を滑る
白鳥の下で起きている
見えない動きのように


たとえ
どれほど高いヒールを
履いていても
身体は揺れず、乱れず
動かないように見える


しかし
その静けさの奥には
精密さがある


余分なものを削ぎ落とし
意図によって
形づくられたリズムがある


このような歩きは
無意識の動作から
生まれることはない


それは装飾的なものではなく
崇高な気配を伴う佇まいであり
洗練された技術によって
導かれたときにのみ
立ち現れる存在感である


この芸術を
可能にしているのは
才能でも、習慣でもない


構造を極めること
それこそが基盤である


それが
ASAMI-PARISのメソッドの
根幹である


私はこれまで
ハイヒールで歩く技術について
多くを書いてきた


今日は、ただ一つ
リズムについてだけ
語りたい


それも
間と精度によって
生まれるリズムについて


脚を前へと運ぶとき
優雅なリズムは
偶然に生まれるものではない


それは
選ばれている


踵から地面に
着地してはならないため
前足が地面に触れる直前


つま先が下へと向く
正確な瞬間が存在する


この動作には
速さが必要である


急ぐという意味ではなく
迷いのない
決断としての速さである


身体の構造上
全体重は一本の脚で
支えられなければならない


その軸を生み出すために
支持脚は完全に
確立されている必要がある


緊張でもなく
崩れでもない
ただ確かな状態として


つま先を下へと向けた後
そこに意図された
「間」が置かれる


時間で測れば
一秒にも満たない


しかしそれは
時間の間ではなく
意識の間である


前足が地面に触れた後
後ろ脚のつま先は
静かに後方へ伸び
同時に、膝がわずかに
解放される


この動きを
意図して行っている人を
私は世界で見たことがない


そしてこの瞬間は
文字通り、刹那である


その直後、動きは
再び次の一歩を
生み出す起点へと戻る


この循環の中には
永遠のリズムがある


動きの中の静けさ
静けさの中の動き


無意識で歩いている限り
このリズムは決して現れない


意図があるからこそ
ただ歩いているだけで
崇高な佇まいが
生まれるのである


歩くという行為は
目的地へ向かうための
単なる手段ではない


一歩に対して
どこまで誠実に向き合えるか


それは
別の言い方をすれば
自分自身に
向き合うということである


ハイヒールの哲学とは
正しく、美しく歩くための
技術だけを学ぶ場所ではない


もちろん、技術は身につく


どの高さのヒールを履いても
痛みも疲れもなく
一日中、毎日でも
歩くことができる


しかし
それが最大の恩恵ではない


真の恩恵は
体験を通してしか
明かされない世界にある










一歩の中にある瞬間 一歩の中にある瞬間 Reviewed by Asami on 31.12.25 Rating: 5

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