この開放感とは
何たるものであろうか
それは
更に自分の魂と強く太く
繋がった感覚であり
それが開放感として
歓びとして私の中で
生きている
他の人からすると
小さなことに
感じるかもしれない
しかし
私には一つの消去出来ない
意味のない信念があった
それは
Instagramから
離れたことであった
かなり前から
Instagramに対して
私の中でfakeな異物として
居座っていた
その心地の悪さを
知りながら
ビジネスとしての
言い訳として
海外版でも時間を駆使し
使用していた
これは
Instagramが良くないと
云っているのではない
単純に
私には必要がないこと
加えて
ここが非常に
大きな点であるが
したくないのに
「止められない」
私の心の裏の背景である
それは
恐れや不安であった
Instagramも
過去からの蓄積があり
現在に於いて
全ての伝えたい事が
「在る」と云う状態のため
何も投稿するものが
なくなった
全くゼロの人が
投稿する状況と異なり
私の場合は
これ以上、投稿しても
意味がなかった
それにも関わらず
自分を騙しながら
行っていた理由とは
Instagramを止めると
新しい顧客を
惹きつける事が出来ない
との思い込みであった
自分の信念を
頭では理解していたが
意外と紐付きが
強かった
それが昨日の夜
いとも簡単に
今までの信念の癒着は
何であったのかと疑う程
簡単に剥がれ落ちた
そして
海外版でInstagramを
休止することを
告知した
これは私にとり
一つの大きな変容の
表れであった
強がりで
不安や恐れが消えたと
云っているのではなく
文字通り
不安や恐れが消えた
証拠としての
表れなのである
人生を良くしようと
思わなくとも
人生が良くなる事が
力を抜いた状態で
理解が出来る感覚
言葉で敢えて表現すると
細胞をマッサージ
されているような
「気持ちが良い」と云う
感覚であろうか
全ての出来事に対して
ニュートラルに捉え
「私」と偽った
自我が思考や感情を使い
本来、あるべき
愛と光ある人生に
介入させないこと
これらが
ようやく機能し始めた
それは
本来の宇宙と共に
愛の中に在る
人生を取り戻し始めた
こちらの表現の方が
正しいかもしれない
しかし
これは単に見たり聞いたり
このようなレベルではなく
セッションの冒頭の課題
(現在はセッションを
受け付けていないため
メール版の冒頭の課題と
なりますが)を
人生を通して
実践し続けた結果である
そして
加えて日々の瞑想である
昨年の末であったが
就寝前にBriceと一緒に
ベッドの上で
瞑想をした事があった
この時に
心から驚いた経験をした
それは
一人で行う瞑想よりも
彼が深い呼吸と共に
「無」になり
エネルギーとして
繋がった感覚が
言葉の如く宇宙であった
これは
一人だけの瞑想では
決して味わえない
体感であった
集合意識とは
本当に存在すると
知識ではなく
魂で体感した
「個」で生きるのではなく
「全体」で生きていること
このことが腑に落ちた
そうなのである
目醒めるとは
体感でしか解らない
それまでは
自我が一生懸命に聞いたり
見たりするが
本当に理解するのは
実践でしかない
しかし
知識だけで
理解しようとする
時代は終了した
ハイヒールで正しく
エレガンスに歩くためには
ストレッチや
素足のエクササイズの
実践が必要であると同じく
意識の目醒めとは
実践でしかない
だからこそ
Self-Awakeningコースは
本当に大切である
現在は
セッションがないため
メール版だけとなるが
誰もの人生に訪れる
目醒めの時である
今の私は思考に騙されず
湧き起こる感情にも
埋もれることもなく
恐れや不安さえも
感じる事が出来なくなった
勿論、思考や感情は起こる
これは
肉体を持っている限り
止めることは出来ないが
そこに同化しないのである
何故なら
思考とは出鱈目であり
「私」ではないと
ハッキリと認識し
自覚しているからである
貴女は
心からの安堵感を
平穏を感じて
今後の人生を生きたいと
思いませんか?
貴女は
日々の出来事に
常に心を奪われ
埋没しながら生きる人生に
疲れていませんか?
貴女が
本当に欲しいものは
人でも物でもなく
安心と平和
心からの満たされた
感覚ではないでしょうか?
もし貴女の答えが
一つでも当てはまるなら
目醒めの時である
貴女は不安や恐れに
脅かされる存在でもなく
何かが欠けている
存在でもない
全ては完璧であり
既に用意されていることを
知るだけなのである
その時に
奇跡とは起こる
パリより
愛と感謝を込めて
Asami
それは
更に自分の魂と強く太く
繋がった感覚であり
それが開放感として
歓びとして私の中で
生きている
他の人からすると
小さなことに
感じるかもしれない
しかし
私には一つの消去出来ない
意味のない信念があった
それは
Instagramから
離れたことであった
かなり前から
Instagramに対して
私の中でfakeな異物として
居座っていた
その心地の悪さを
知りながら
ビジネスとしての
言い訳として
海外版でも時間を駆使し
使用していた
これは
Instagramが良くないと
云っているのではない
単純に
私には必要がないこと
加えて
ここが非常に
大きな点であるが
したくないのに
「止められない」
私の心の裏の背景である
それは
恐れや不安であった
Instagramも
過去からの蓄積があり
現在に於いて
全ての伝えたい事が
「在る」と云う状態のため
何も投稿するものが
なくなった
全くゼロの人が
投稿する状況と異なり
私の場合は
これ以上、投稿しても
意味がなかった
それにも関わらず
自分を騙しながら
行っていた理由とは
Instagramを止めると
新しい顧客を
惹きつける事が出来ない
との思い込みであった
自分の信念を
頭では理解していたが
意外と紐付きが
強かった
それが昨日の夜
いとも簡単に
今までの信念の癒着は
何であったのかと疑う程
簡単に剥がれ落ちた
そして
海外版でInstagramを
休止することを
告知した
これは私にとり
一つの大きな変容の
表れであった
強がりで
不安や恐れが消えたと
云っているのではなく
文字通り
不安や恐れが消えた
証拠としての
表れなのである
人生を良くしようと
思わなくとも
人生が良くなる事が
力を抜いた状態で
理解が出来る感覚
言葉で敢えて表現すると
細胞をマッサージ
されているような
「気持ちが良い」と云う
感覚であろうか
全ての出来事に対して
ニュートラルに捉え
「私」と偽った
自我が思考や感情を使い
本来、あるべき
愛と光ある人生に
介入させないこと
これらが
ようやく機能し始めた
それは
本来の宇宙と共に
愛の中に在る
人生を取り戻し始めた
こちらの表現の方が
正しいかもしれない
しかし
これは単に見たり聞いたり
このようなレベルではなく
セッションの冒頭の課題
(現在はセッションを
受け付けていないため
メール版の冒頭の課題と
なりますが)を
人生を通して
実践し続けた結果である
そして
加えて日々の瞑想である
昨年の末であったが
就寝前にBriceと一緒に
ベッドの上で
瞑想をした事があった
この時に
心から驚いた経験をした
それは
一人で行う瞑想よりも
彼が深い呼吸と共に
「無」になり
エネルギーとして
繋がった感覚が
言葉の如く宇宙であった
これは
一人だけの瞑想では
決して味わえない
体感であった
集合意識とは
本当に存在すると
知識ではなく
魂で体感した
「個」で生きるのではなく
「全体」で生きていること
このことが腑に落ちた
そうなのである
目醒めるとは
体感でしか解らない
それまでは
自我が一生懸命に聞いたり
見たりするが
本当に理解するのは
実践でしかない
しかし
知識だけで
理解しようとする
時代は終了した
ハイヒールで正しく
エレガンスに歩くためには
ストレッチや
素足のエクササイズの
実践が必要であると同じく
意識の目醒めとは
実践でしかない
だからこそ
Self-Awakeningコースは
本当に大切である
現在は
セッションがないため
メール版だけとなるが
誰もの人生に訪れる
目醒めの時である
今の私は思考に騙されず
湧き起こる感情にも
埋もれることもなく
恐れや不安さえも
感じる事が出来なくなった
勿論、思考や感情は起こる
これは
肉体を持っている限り
止めることは出来ないが
そこに同化しないのである
何故なら
思考とは出鱈目であり
「私」ではないと
ハッキリと認識し
自覚しているからである
貴女は
心からの安堵感を
平穏を感じて
今後の人生を生きたいと
思いませんか?
貴女は
日々の出来事に
常に心を奪われ
埋没しながら生きる人生に
疲れていませんか?
貴女が
本当に欲しいものは
人でも物でもなく
安心と平和
心からの満たされた
感覚ではないでしょうか?
もし貴女の答えが
一つでも当てはまるなら
目醒めの時である
貴女は不安や恐れに
脅かされる存在でもなく
何かが欠けている
存在でもない
全ては完璧であり
既に用意されていることを
知るだけなのである
その時に
奇跡とは起こる
パリより
愛と感謝を込めて
Asami
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