私が愛されている理由



嘘が好きではなく
自分に対しても
他人に対しても
私は嘘はつかない


そのような私であるが
日本語版でのBlogは
綴らないであろうと
思っていた


そのような中
ふと衝動が湧いた


それは
純粋にフランス語に
関することを
綴りたいと思った


その衝動は
子供たちと
愛するレストランに於いて
食事中に起こった


完全に愛の中にいた


少し前より
子供たちが交互に風邪を引き
予約をしても
キャンセルをする事が
多々、続いた


そのような意味で
久々に訪れたが
変わらずに
受け入れてくれる場所が
Les Canaillesである


この場所以外にも
私や子供たちを
家族として
受け入れてくれる場所は
モナコも含めて
多々ある


レストランの予約は 
Peterがしてくれたが
苗字を名乗ると
「Peter !」とレストランの
monsieurが
声掛けをしてくれたと
Peterが話してくれた


レストランでも
予想外の久々感はあったが
店の方々が
子供たちの名前を呼びながら
幼稚園や中学校の
様子について
尋ねてくれたりと


やはり
愛する場所があることは
凄く幸せであった


私は必ず
店の混み具合と自分が
訪れる時間帯を見て


食事前か店を出る際の
どちらか
必ずキッチンを訪れ
料理を提供してくださる
シェフの方々へ
感謝の挨拶をする


これも
長い習慣の一つである


今、綴りながら思ったが
私が黄色人種でありながら


これ程までに
フランス人の彼らと
素晴らしい関係が
築ける理由は
此処にもあるかもしれない


これは
語学だけ流暢であっても
このような関係性は
築くことは難しい


家族として
たくさんの場に
在り続ける関係が
私には在る


このことを
改めて今回は気づかせて
もらえた


そのような意味でも
私のフランス語の
レッスンとは
単なる語学を学ぶと云う
表面的なものではない


言葉を超えた先にある
語学以上に大切なもの


これが
私がフランス語レッスンを
通して行っている
軸であるのだと思う


私には当たり前過ぎて
築く事が出来なかったが
我ながら自負するが
大きなポテンシャルである


日本に住んでいると
この感覚を掴むのは
不可能である


それは文化を超えて
人の思考や
人々が何を大切にし
何を必要としていないか


この境界線は
センスでしかない


偶然にも先程
レストランで日本の方が
訪れたのを目にした


やはり残念であった


彼らは英語で話していたが
様々な点で残念であり
これが表面上の語学の学び


生きている語学を
英語ですら
学んでいない現れであった


実は私のフランス語の
レッスンは少しずつ更に
改良を重ねており
クライアントの方々が
ストレスのない範囲内で
挑んで頂いている


語学の学びを止めるのは
ストレスが原因のため
我ながら微妙な形で
過剰なストレスがない形で
実は引き上げている


こちらも自負であるが
私のフランス語レッスンを
受講してくださっている
クライアントの方々は
本当にluckであると思う


この言葉だけで
判断して頂きたくないが
語学の世界も深い


私自身は語学に関して
様々な経験を経て
多くの先生に学び
彼らの長所と短所も学び


そして
今のスタイルに気づいた


ハイヒールレッスン同様に
フランス語レッスンも
常に改良しているが
完全に自分の情熱である


今日は全く綴ることもない
その次元から綴った Blogである



パリより
心からの愛と感謝を込めて
Asami


私が愛されている理由 私が愛されている理由 Reviewed by Asami on 11.12.24 Rating: 5

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